2009年01月13日

フランソワ・トリュフォー

最近は本当にショックなことがあったり大家から不合理な立ち退きを命じられたりツタヤの出店によりバイト先がつぶれることになりそうだったり新年早々良いことが全くないんですが、これもそれも従兄弟が僕に教えてくれた水星人マイナスが今年も大殺界の年に当たるのがその原因なんでしょうか、なんて今ふとこのblogを書くまでは全く考えてはなかったんですけどね。

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日付は変わって昨日の話ですが、「柔らかい肌」をもってついにフランソワ・トリュフォー監督の映画を完全観破しました。
イェーイ。


大学1、2年くらいに観た「大人はわかってくれない」から始まって長かったなー。
この映画は子供を涙を誘うためだとか、映画の雰囲気を和ませるためだとかではなく、純粋に子供の視点で大人の手を突き飛ばしみずみずしさ溢れんばかりにとらえた画期的な映画だと、いまでは思っています。最初観たときは寝たけど・・。あと白黒のパリが本当に美しい。
ウディ・アレンも、どんなに映画を撮ろうとも「第七の封印」や「大人はわかってくれない」のような奇跡的な映画は撮れない。ってプレイボーイ誌で言っとった。

この映画で好きなシーンはタイプライターを盗むシーン、友達の家で豪遊しとる矢先父親が帰ってきてベッドの端に隠れるも足が見えとるシーン(父親は黙認)、バルザックの写真を飾るも火事騒ぎを起こすシーン。

そうトリュフォーのおかげで僕はバルザックと出会ったんです。

「夜霧の恋人たち」でアントワーヌ・ドワネルが読む「谷間の百合」は今までぼくが読んだ小説のうちで3本の指に入るほど感動したなー。

ドワネルといえばジャン・ピエール・レオー。ジャケットコート、そしてスカーフ/マフラーっていうスタイルは永遠に不滅じゃ。

タバール婦人が来た瞬間神秘的な音楽が流れだし恋をするシーン、"Vous aimez la musiuque, Antoinne ?" って質問に"Oui Monsieur"って答え出してもらったコーヒーひっくり返し階段駆け下りる瞬間、婦人の丁寧と機転についての手紙、だとかが好きなシーンです。
そいえばこの秋にパリのサクレクール寺院の目の前にある、ドワネルと婦人が逢い引きするあの実際にアパート見てきたんですよー!
モンマルトルの墓地に墓参りもしてきた。
この映画が一番好きかもしれない。

社会と折り合いをつける気がありながらも衝突を避けてするすると生きていこうとするアントワーヌが好きです。

あと好きなシーンといえば、「突然炎のごとく」で、ジュールかジムがナンパした女の娘(?)がタバコの煙を汽車が吐き出す煙に見立ててぐるぐる回るシーンがとっても衝撃的でした。
ジャンヌ・モローが歌うシャンソンも大好き。

あと「アメリカの夜」は良いですねー。あの優しい音楽が絶妙にマッチする。
「緑色の部屋」の死相感漂う雰囲気も印象に残っています。
「黒衣の花嫁」も評価低いけど好き。



上↑のは僕の好きな一枚。
ありがとう、トリュフォー。
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2009年01月02日

2009年1月2日

"一日のうちで最高の瞬間は寝るときだ。眠りにつくと、祭りがはじまる。"
Federico Fellini
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2008年10月10日

「パラノイドパーク」"Paranoid Park"

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ふとした拍子に人を殺してしまった高校生でスケーター・アレックスの物語。

そのどこか陰がある空気の中にいて映像は素晴らしく美しい。
一篇の詩を読んでいるように、穏やかに映像と音楽が頭の中をよぎっていく。

なにか事件が起こったことを観客に予感させながらも、アレックスはそれに目を向けないように迂回しながら回想するんで、それだけで緊張した雰囲気が生みだされる。時間軸の解体が非常に効果的に使われとると思う。

そしてスローモーションと、ピントのずれはまたアレックスの不安で動揺した心を表現する。
離婚間際でごたつく母さんなんか視界の外から追い出されるし、その母さんをはっきりと映さない視点とかも、アレックスの孤独感を増幅させ、ほんま絶妙。
それでいて映像は美しく、音楽も謙虚に流れ込む。


どこか悲しい景色が浮かんでは流れる少年アレックスの幻想にも似た美しい現実、につい物語に引き込まれてしまうがアレックスに感情移入するというよりは親のように同情し、見守ってしまうと言うのか。

映像と音楽が一体になってここまで感情を表現できるとは。
久しぶりに凄い映画に出会った。
映画館で観るべきだったな・・。




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2008年10月08日

「ライフ・アクアティック」Life Acuatic

なんかーすごいゆるいテンポの夢と海と現実が入り交じった世界に、ちょこんと奏でられる音楽がすごくいいーアジを出しているー。

おもにデヴィットボウイと、デヴィットボウイをギター一本で南国風にカバーしたセウ・ジョルジ、Devoゾンビーズ、そして突然雷鳴のごとく轟くストゥージーズの
Search And Destroy」。
このシーンは最高に興奮しましたー。

物語やその雰囲気と音楽が調和して、ゆらゆら波に揺られ流れていくー。
ジャグアーシャークを探すためにー。
ジャグアーシャークって何じゃって!?
監督のウェス・アンダーソンとはいい友達になれそうだ。






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2008年09月24日

「5時から7時までのクレオ」Cléo de 5 à 7

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パリのいまそこにある風景をそのまま切り出したような映像は今をもってなお斬新。
癌の結果を待ちただ徘徊するって内容とは対照的にテンポはよく見ていて飽きない。
ミシェル・ルグランのメランコリーな音楽、セリフもいいし、Très bien.


映画の中でチャップリン風の映画がほんの少し流れるんじゃけど、その中に出る白塗りの男と女が、実はジャン・リュックとアンナ・カリーナだとは気付かんかった。
おちゃめなゴダールがかわいい。


しかし渋谷Tsutayaでアンナ・カリーナのコーナーにこの作品が置いてあるのはどうかと思うが、、ヌーヴェルバーグ好きな店員がおるんじゃろーなー。
謙虚でかわいらしいアピール。




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2008年09月21日

「のら猫の日記」MANNY & LO

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これ面白いわ〜。
家出した姉妹が車で移動しながら、万引き、貸家に侵入したりしながら自由気ままに生きていくんじゃけど、途中で姉ローの妊娠が発覚。
侵入先で観た出産ビデオに怖じ気づいた姉ローがベビー用品店の店員を誘拐して話は急展開。

主役は当時11〜12歳くらいの妹マニー役のスカーレット・ヨハンセン。

不器用にしか生きられない姉、店員に対して、そこに一緒にいながら器用に生きることのできる妹マニーは、社会(まだ子どもか)とそのどっちにも属してないグレーな立ち位置にいる。

だからマニーは、若干冷めたような斜から見るような格好で、それでも子どもながらの純真さと優しさをもった視点でこの二人を見つめている。

そこに田舎の豊かな自然、ジョン・ルーリー(全然詳しくないけど)のゆったりした音楽、母親の愛情が加わり、この映画にはなんともいえないオフビートなゆったりさと温かさが流れる。

姉ローの奔放さもなんとか中和される。

後半山荘の中でマニーが、ローと店員との間でそれぞれの関係や自尊心を傷つけないようにがんじがらめになりながら立ち回るとこが面白い。

主に女性3人で話は進み、きっとそんな金もかかってないんだろーなと思ったり。

後にハリウッド1セクシーな女優に君臨するスカーレット・ヨハンセンじゃけど、この頃には全くその面影はない。

でも声はやっぱ低い。

ちなみに、途中でゴルフコース場におる夫婦は彼女の家族らしい。


人間関係や学校会社に疲れたときにゆっくり見たい映画。
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2008年09月18日

「レイニング・ストーンズ」Raining Stones

主人公の信仰、生活・社会状況なんかの状況が設定され、そこに主人公が満たそうとする欲望、要求がありさえすればドラマが生まれるような、人間やその営みに強く焦点が当てられ、現実を厳しい眼差しで見つめる映画


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「レイニング・ストーンズ」は、マンチェスターで貧しい家庭をもつ主人公が、娘の聖餐式のために新品の立派なドレスを買うべく苦労する話。

内容は言葉に表したほど楽観的じゃなく、厳しい現実とそこに生きる人々の営みがそのまま映されているといったもの。

この映画の特筆すべき点は、羊一頭を殺すこともできない弱々しい失業中の主人公ボブの性格、働くにも就職口のないどん底の社会状況、安息の地のように見える教会と神父の存在がしっかりと描かれていることにあると思う。

そこで信仰にすがり、娘と妻のためにもがく父さんボブの頑張りには思わず目が離せなくなってしまうような迫力と親しみ、説得力がある。

さらに必要以上に派手にしない自然な演出も魅力。
それで友達の競馬新聞を見る場面、取り立て屋が街にはびこる場面やヴァンを借り、家族のために金を工面するのにそれが裏目に出るあたりの流れも自然じゃし、鑑賞者はその現実からもう抜け出せない。

でもこの映画には突然、制作者が現実に射し抜こうとする願い、希望みたいなものが現れる。
映画の流れからするとけっこう違和感は拭いきれないし、ユーモアも感じられるラストにはあまり僕は共感できんかった。
しかし、
全体で見ると、それを凌ぐだけの生きざまがあり、

親しみ溢れる主人公やその家族にもてる共感と、現実を厳しく描く眼差しが同居している点でこの映像は奇跡的ですらあった。
すごい映画。



あと書き
Raining Stonesとは、石が降るようなつらい現実を意味するそう・・。
監督はそうKen Loach。
Oasisもこんな生活を送っていたのだろうか・・。
moneyをモネイって発音するのが印象的だった。


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2008年08月21日

32-20 blues by Robert Johnson 広島の優男2008 ver.

          「32―20Blues」  
            by Robert Johnson   和訳
             広島の優男 2008 ver


あの娘は俺が誘おうにも来やせんじゃろうのう・・。
あの娘は俺が誘おうにも来やせんじゃろうのう・・。
@HotSpringsであの娘を助けられる医者なんかおらんっていうのに。

もしあの娘が俺のことを無視したり、望みをかなえてくれんかったら
もしあの娘が俺のことを無視したり、望みをかなえてくれんかったら
この32―20が彼女を真っ二つに切り裂さいてくれるわい。

あの娘は38スペシャルを持っとるんじゃが、あれじゃちぃと軽すぎる
あの娘は38スペシャルを持っとるんじゃが、あれじゃちぃと軽すぎる
俺には32―20がついとる。もう準備はできたとこじゃ。

あの娘は俺が誘おうにも来やせんじゃろうのう・・。
あの娘は俺が誘おうにも来やせんじゃろうのう・・。
HotSpringsであの娘を助けられる医者なんかおらんっていうのに。

ピストルにAガトリングガンも撃ち込んじゃろうかな。
ピストルにガトリングガンも撃ち込んじゃろうかな。
彼女のことが頭から離れん。じき恋人がやって来るで。

あぁ、君は昨日の夜どこにおったん!?
あぁ、君は昨日の夜どこにおったん!?
髪はもつれとるし、ろれつも回ってないじゃないかよう!!

あの娘の38スペシャルは確かに良い代物じゃけどねぇ。
あの娘の38スペシャルは確かに良い代物じゃけどねぇ。
俺の32―20が爆発してもしらんでぇ。

あの娘は俺が誘おうにも来やせんじゃろうのう・・。
あの娘は俺が誘おうにも来やせんじゃろうのう・・。
BWisconsinであの娘を助けられる医者なんかおらんっていうのに。

あぁ、君は昨晩どこにおったん!?
あぁ、君は昨晩どこにおったん!?
日の出とともに朝帰りとはのぉ!!

あぁ、ろくに休めもせん。
あぁ、ろくに休めもせん。
この32―20をいじってばっかりなもんでのぉ。



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悪魔に魂を売ったおかげで夭折したアメリカ・ミシシッピー出身のブルーズマン・ロバート・ジョンソン。
好きな女のことを想うあまり狂気が渦巻渦いているこの曲「32-20 Blues」。
キース・リチャーズもカヴァーしている、ぜ。
この歌詞でもって、陰鬱なコード、不気味な声で歌い上げるんで、聞くたびにぞくぞくしてくる。
たまにブルーズの歌詞を和訳して載せていこうと、暇なんで思ってます夜露死苦。

解説

「32―20」とはライフルの名称の一つ。
好きな娘が持っとる「38スペシャル」はスミス&ウェッソン社製のリヴォルバー。ライフルのほうが強烈。

@:Hot Springsはミシシッピーの左上にあるアーカンサス州の地名。
地獄を意味するという噂も。

A:Gatling gun、ジョンソン風に発音するとギャーリンガン。
“girl and gone”―ガーリェンゴン、「彼女は去った」ということを暗に意味しているという。

B: Wisconsin:一行目のHot springs からここではウィスコンシンに変わっている。
それは、実はこの「32―20Blues」が戦前からレコードを出していた同じミシシッピー出身でロバートの先輩にあたるSkip Jamesの曲”「20―20Blues」に影響を受けているからである。いやほぼコピーと言ってもいいくらい歌詞は同じであり、メロディも似通っている。

1931年のSkip Jamesによる「20−20Blues」はHot SpringsではなくWisconsinと唄っている。(録音場所もウィスコンシン州)
だからロバートは録音中、間違って原曲(!?)のWisconsin!と歌ってしまったと思われる。
いや、それかSkip Jamesへのオマージュなのかもしれない。。


また、スキップ・ジェイムスの「20-20 Blues」では、
S・ジェイムスが”20-20”、”32-20”、”38スペシャル”を、好きな娘が”40-40”を持っている。
ところが、R・ジョンソンは自分に”32-20”、彼女に”38スペシャル”を持たせる。
銃を2つに限定し、二項対立化させることで、恋に狂う男の感情はよりすっきりと明確に表現されるようになっている。

ちなみにヴィム・ヴェンダースの「ソウル・オブ・マン」でスキップ・ジェイムスが取り上げられており、演奏シーンなんかを見ることが出来る。
それがまた鳥肌物。

それじゃ、本家の歌詞を載せておやすみなさい。
そしてあの不気味なイントロが流れはじめる・・。

         32-20 blues
             by Robert Johnson

'F I send for my baby, man, and she don't come
'F I send for my baby, man, and she don't come
All the doctors in Hot Springs sure can't help her none

And if she gets unruly, thinks she don't wan' do
And if she gets unruly and thinks she don't wan' do
Take my 32-20, now, and cut her half in two

She got a .38 special but I believe it's most too light
She got a .38 special but I believe it's most too light
I got a 32-20, got to make the caps alright

If I send for my baby, man, and she don't come
If I send for my baby, man, and she don't come
All the doctors in Hot Springs sure can't help her none

I'm gonna shoot my pistol, gonna shoot my gatling gun
I'm gonna shoot my pistol, gotta shoot my gatling gun
You made me love you, now your man have come

Ahoh, baby, where you stayed last night
Ahah, baby, where you stayed last night
You got your hair all tangled and you ain't talking right

Her .38 special, boys, it do very well
Her .38 special, boys, it do very well
I got a 32-20 now, and it's a burning

If I send for my baby, man, and she don't come
If I send for my baby, man, and she don't come
All the doctors in Wisconsin sure can't help her none

Hey, hey, baby, where you stayed last night
Hey, hey, baby, where you stayed last night
You didn't come home until the sun was shining bright

Ahoh boy, I just can't take my rest
Ahoh boy, I just can't take my rest
With this 32-20 laying up and down my breast.



posted by TOSHI at 22:38| Comment(2) | TrackBack(0) | Me and the Blues | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月11日

「Tokyo!」撮影日記 前

ローリン……アクスィオン!!
監督の声とともに役者が演技を始める。その傍に立つ僕(たち)の体は震え、限界を越えてついには痛みはじめる。


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8月16日、ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノという今世界で注目を集めている映画作家たちがそれぞれ東京を舞台にしてつくったオムニバス作品「Tokyo!」が上映される。

半年前くらいに、日本で行われたフランス人監督レオス・カラックスの撮影現場にエキストラとして参加してきた。
エキストラはとにかく待たされる。7時30分に八丁堀集合、で映画を撮り始めたのは10時くらい…。

ビルから出てきて話すってだけのシーンなのに、高い木台を設置しその上に役者を立たせ、さらになだらかな階段の下の隅っこのほうからローアングルで撮る。

恐るべきこだわりを見せる監督は、この3〜4分のシーンを3〜4時間かけて撮ったんです。

でもそんなに時間に余裕があるのか…。どう見ても無いんですよ。
さすが、呪われた映像作家の烙印を捺されただけあるな…。
すぐ脇では日本人スタッフたちが眉間に皺をよせ、張りつめた空気の中で衝突しあっている。

11月半ばとはいえ、無機質な石でできたビル陰とその間を切裂くように流れ込む風は強烈に冷たく、ボランティアとして集まっている僕たちは自由に動けないこともあり妙な連帯感が生まれる。フランス人も何人かおる。


フランス留学経験者で黒いスーツ姿の女性は、好きな映画がクロード・ルルーシュの「男と女」だとか。
あんなに綺麗な言葉を使う映画は観たことない、と。

なるほど、知花くららと一緒か。。

俺も好きです。(少し前まで980円の廉価版が出とったけど最近見かけんようになったね。買っとけばよかった!)

クロード・ルルーシュと言えば、お金がない時代、音楽と使わんよーになったフィルムの切れはし、例えば街の映像とかをくっつけて映像を作りお金をつくっとったらしい。今でいうビデオ・クリップの先駆けみたいなもん。

確かに「男と女」では、メランコリーな音楽によって男と女の叙情が表現されていますね。
ところで、そんな方法をトリュフォーはあまり快く思ってなかったという。
人の動作、感情をリアルに描ことを主題としたトリュフォーにとって、音楽によってそれを補完・表現するなんてことは卑怯なことでしかなかった、のだろう。
彼はクローシュのこの作品が以後のアメリカ映画に与えた影響の大きさについても示唆している。
音楽によって人物の気持ちを表現させるという映画が増加したと。


話は少し逸れましたが、、、

僕らの一団から少し離れたところには、3、40人ほどの人達がそれぞれ寒そうにしたり、はしゃいだりしながら待機していた。
聞くところによると彼らは事務所専属のエキストラとのこと。ただ興味本位で入っとる人や、明日のスター俳優を目指しとる人も大勢おるー。
僕らと違うところは、彼らにはお金が入る。


そんなこともあってか僕らは貴重な存在で、丁重に扱われる、はずなんじゃけど監督のこだわりはそんな甘えを許さず、寒空の下僕たちは4、5時間立ちっぱなしで、カメラが回ると身動きすらとれない。。。



さて僕の役というと、一眼レフ・カメラなんて持ったことないのに、フラッシュを焚き写真を撮りまくる報道陣の一人。
予算節約のためかカメラとフラッシュは連動してなく、不自然に人差し指を伸ばし(フラッシュを光らせるためのボタンを押すため!)、フラッシュの光だけをフランス人俳優にひたすら浴びせる。


映画って、こんなんで成り立っているのか…。

前編終わり

posted by TOSHI at 13:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画2000s | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月09日

「パラダイス・ナウ」

カメラにはいろいろな思いや感情が現れると言われる。
例えば有名な話だが、溝口健二監督「雨月物語」の中で母親が盗賊に捕らえられ殺されるとき、カメラはその瞬間を映すまいと左斜め上に移動していく。移るのは空と木々だけである。
完璧主義だったと言われる溝口のこだわりから、このシーンには映像作家の死に対する畏敬の念みたいなものが感じられる、なんて言われる。

アモーレス・ペロス」や「バベル」の脚本・監督のイリャニトゥ監督の作品はすべて荒々しいまでの手持ちカメラで撮られる。
死・孤独といった重い内容を描く監督の作品は、こうしたカメラワークによりドキュメンタリー的な、本物さながらの緊張感が与えられる。
そうしたテーマに対しての人為的介入は行わず、ただ現実を映すだけと言った謙虚な印象を受ける。


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先日、アップリンクが配給・dvdの販売まで行い話題になった「パラダイス・ナウ」を見た。

イスラエルへ自爆テロに向かおうとする、パレスチナに住む二人の若者の物語である。

パレスチナという占領下で自爆テロに向かうまでの若者が、彼らの意思(神のために死にに行くといったことがよく報道される)というよりも組織や過去のしがらみなどによって動かされているという点を描いた点で興味深い。

内容はサスペンス的な要素があり、見かけよりも気軽に見られる感じ。

上述したような視点、パレスチナとイスラエルの状況に映像ではあるが接することができ、中東の状況についての理解が少し深まったと思う。

ただ、映像という観点からいくと、僕はどうも違和感を感じずにはいられなかった。
自爆テロというのは本人の意思はどうであれ理解できない、超越した死という問題を扱うことである。
それは美として捉えられるべきものではないはずである。

でもこの「パラダイス・ナウ」の映像は、落ち着いたカメラ・ワークで撮られ、照りつける陽光は美しささえも曝け出す。
演出の部分でも、少しばかり造り込まれた感が見えすぎな気がする。

その為もあってか、ひどいと言われるパレスチナの状況もさほどそうは映らない。話の説得力も欠け気味に。

過酷な現実・死という事実よりも、美を追究する姿勢を鮮明にしすぎたというか、制作者側は蚊帳の外にいるような印象を受けてしまった。。

事実、パレスチナ側の観客からは批判の声が多く聞かれたという。


映像作家の映像には、その作品に対する姿勢や立ち位置が見え隠れすると思うのです。


posted by TOSHI at 02:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画2000s | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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